安徽省 an hui sheng |
名称:逍遥津 ・所在地:安徽省合肥市内 ・解説:魏呉激戦の地。215年、孫権は自ら10万の大軍を率いて合肥を攻撃したが、魏の猛将張遼は曹操が残しておいた計略に従い、呉に奇襲をかけ大勝した。 ・コメント:現在は逍遥津公園となっている。当時、精神的に疲れ果てていた私は慰安目的でこの地を訪問した。正門には張遼騎馬像がお出迎え。いろんな角度から写真を撮った。 敷地内には孫権退却時、騎馬のまま飛び越えた跡とされる飛騎橋もある。 ・アクセス方法:市バス2路に乗り、「逍遥津」で下車。 |
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名称:張遼墓(衣冠塚/胴体塚) ・所在地:安徽省合肥市内 ・解説:張遼は魏呉激戦地である合肥をよく守り、孫権をもっとも恐れさせた人物。曹丕の時代に呉討伐で敗退し、丁奉の矢を腰に受けそれが元で亡くなる。(病死ともいわれる) ・コメント:曹魏で一番好きな武将。逍遥津公園内には衣冠塚と胴体塚があり、衣冠塚は池の中にあるためボートを使用しないと行けないとのこと。 ・アクセス方法:逍遥津公園内。 |
![]() 【張遼衣冠塚)】 |
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![]() 【張遼墓(胴体塚)】 |
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名称:曹操教弩台 ・所在地:安徽省合肥市内 ・解説:曹操点将台とも言われる。孫権との交戦に備えるために曹操が台を築いて強弩を教え、訓練したとされる場所。 ・コメント:現在は名教寺と呼ばれ、入口が高さ5mほどもある壁の上にあることが特徴的であり、この壁を教弩台と呼ぶ。 ・アクセス方法:逍遥津公園から南へ徒歩数分。 |
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