河南省
he nan sheng
名称:水鏡庵 ・所在地:湖北省南漳県 ・解説:水鏡先生(司馬徽)が隠居生活をしていた白馬洞という洞窟が残る。 ・コメント:水鏡庵正門には真っ白な司馬徽像があり、敷地内には白馬洞、水鏡庵、草蘆などがある。訪問時は自分一人でなんとなく寂しい思いをした。 ・アクセス方法:南漳汽车站より三輪タク利用。市内より近い場所にあるため、徒歩可能。 |
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名称:徐庶故里 ・所在地:湖北省南漳県 ・解説:徐庶がかつて隠居していたと言われる場所。 ・コメント:廟内は非常に小さく、奥には徐庶像がある。 普段はこの徐庶故里内は鍵がかかっているので、隣りにある博物館に行き、管理人らしき人に開けてもらう。管理人曰く「日本人、韓国人の三国志ファン達がよく来るとのこと」。 ・アクセス方法:南漳バスターミナルから近い場所にあり。私は水鏡庄より三輪タクを使用して直行する。 |
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名称:博望坂古戦場 ・所在地:河南省方城県博望鎮博望村 ・解説:諸葛亮孔明の初陣。夏侯惇率いる10万の大軍を火計を用いて打ち破った。 ・コメント:是非訪れておきたかった古戦場の一つである。博望坂と刻まれた石碑と後方には延々と広がる畑がある。 ・アクセス方法:南陽バスターミナルより博望坂行きの本数は少ないが、博望鎮への直行便はある。同鎮到着後、石碑まで距離があるため、バイタク使用。帰りの便(南陽市)はさらに本数が少ないためまず方城に行き、そこから南陽市行きのバスに乗車した。 |
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名称:南陽武侯祠 ・所在地:河南省南陽市臥龍区 ・解説:孔明の隠居地と言われる場所。 ・コメント:襄樊にも孔明の隠居地(古隆中)があるが、果たしてどちらが本物なのか。私は古隆中の方に比があるとは思うが。敷地内には古隆中と同じく、六角井、武侯祠、諸葛草蘆などがあるが、先に古隆中を訪問したせいかここ南陽はなんとなくテンションが上がらず。 ・アクセス方法:汽車駅より市バス3路に乗り、臥龍ガンで下車。 |
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名称:南陽三顧橋 ・所在地:河南省南陽市臥龍路中段梅溪河上 ・解説:劉備三兄弟が孔明を訪れる際に通ったとされる橋。 ・コメント:確か、襄樊市内にもあったような。橋には三顧の礼の故事が彫られており、見ながら橋を渡るのも面白い。しかし、個人的には雪が降る中、訪問した襄樊の三顧橋のほうが印象深い。 ・アクセス方法:市バス3路に乗り、育高中学で下車。バス停横の橋。 |
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名称:馬騰墓 ・所在地:河南省許昌市北郊外蘇橋郷冢許村 ・解説:馬超の親父馬騰の墓。 ・コメント:゛そんしあさん゛と合流後、まず先に向ったのがこの馬騰墓である。まっすぐ延びる農道を進み、入りくんだ道を進むなど到達には相当苦労した。 ・アクセス方法:許昌汽車西站から蘇橋行きバスで途中の馮庄(交差点で降ろされる)まで行く。交差点を北へ道なりに進むと孟店村に入るので、孟店飯店で左折し西へ1km程行く。中許中(小?)学の手前で右折し、北へ真っ直ぐ進むと右手に見えてくる。 |
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名称:華佗墓 ・所在地:河南省許昌県蘇橋鎮石寨村 ・解説:名医華佗の墓。 ・コメント:馬騰墓捜索後に向かったため、時間を気にしながらの訪問。敷地内に入るいなや、一人の中年男性が近づいてきて塚上に植えられている木や葉の説明をしてくれたが、方言のためまったく聞き取れなかった。また、市内に戻る際に、夕日が沈む瞬間を見ながら、帰路についた。 ・アクセス方法:許昌汽車西站から蘇橋行きバスで途中の馮庄を目指すと、右手に「華佗墓こちら」の看板が見えるので、降りる。看板の矢印の方向(東)へ1.5km程行くと左手に白い壁が見えてくる。 |
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名称:徐晃墓 ・所在地:河南省許昌県張潘鎮城角徐村 ・コメント:徐晃墓は広大な畑の中にぽつんとあり、後方には高速道路が走っている。100m手前からでも目視出来、望遠鏡で発見して小走りで向かった。 ・アクセス方法:許昌汽車東站から201路で張藩を通り過ぎ盆李へ。小さい関帝廟前で降ろされるが、さらに国道を東進。盆李と書かれた道路標識を通り過ぎると北へ通じる道があるのでひたすら(2km程)北進。左手に城角徐村が有るが、無視してさらに畑の道を北へ。高速道路が見えてきたらそっちを注意して見渡してみよう。土盛があるはず。 |
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名称:毓秀台 ・所在地:河南省許昌県張潘鎮古城村 ・解説:建安3年(198年)、曹操が献帝の為に造った祭壇。 ・コメント:階段を上ったところには寺院がある。訪問当時、風が強く、線香の灰がその風に舞い悲惨な状況になっていた。 ・アクセス方法:許昌汽車東站から201路で張藩を通り過ぎ盆李の方へ。盆李から国道を1km程西へ戻ると「漢魏許都故城遺址」の看板があるので、そこを南へ500m程行く。 |
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名称:漢魏許都故城遺址 ・所在地:河南省許昌県張潘鎮古城村 ・コメント:毓秀台の入口の前方にあり、石碑と土盛りがある。こういった遺跡もなかなか良いものである。 ・アクセス方法:許昌汽車東站から201路で張藩を通り過ぎ盆李の方へ。盆李から国道を1km程西へ戻ると「漢魏許都故城遺址」の看板があるので、そこを南へ500m程行く。 |
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名称:張公祠 ・所在地:河南省許昌市張藩鎮門道張村 ・解説:劉備、関羽、張飛(三兄弟)が献帝に謁見する際に駐在した地。 ・コメント:張藩鎮には三国遺跡が集中している。黄色の正門がなんとも言えない。又、敷地内にある張公殿には張飛と息子の像がある。 ・アクセス方法:許昌汽車東站から201路で張藩を通り過ぎ「段庄」で下車。「段庄」の標識から農道を北へ1km行く。右手に池と村が見えても更にまっすぐ。T字路突き当たり。 |
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名称:董妃墓 ・所在地:河南省許昌市内八一路×魏文路 ・解説:献帝の寵妃で車騎将軍・董承の娘。劉備らの同士を募った董承による曹操暗殺計画が漏れてしまったため、董承一族とその一派は捕らえられて殺されてしまい、娘の董妃も例外では無かった。 ・アクセス方法:八一路×魏文路へタクシーで。交差点北西角に有る。 |
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名称:王允墓 ・所在地:河南省許昌市北郊外清yi河西大堤 ・解説:『連環の計』を用い董卓と呂布との仲を切り裂くことに成功した王允の墓。 ・コメント:王允墓。自分の中では超レア人物の墓である。 ・アクセス方法:八一路×翠林路(川沿いの堤防道)までタクシー。ここから2㎞程川沿いを北上。左手に集落が見えてきたらもうすぐ。 |
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名称:春秋楼 ・所在地:河南省許昌市中心 ・解説:関羽が下ヒの戦いにより曹操に降った際、居住していた場所。毎晩「春秋左氏伝」を読んでいた場所ということもあり、正式名称は春秋楼となっている。 ・コメント:巨大で黄金の関羽像には正に愕然とする。隣にいる関平、周倉も同じく黄金で大きかった。 ・アクセス方法:許昌市中心。 |
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名称:ハ陵公園 ・所在地:河南省許昌市中心 ・解説:曹操に捕らわれていた関羽が劉備の所在を知り、劉備のもとへ向かう際に、曹操や張遼らが別れを惜しんだ場所。 ・コメント:ハ陵橋手前にある関羽像はどことなく可愛らしい造りになっていた。また、訪問当時は気温が低く、橋の下を流れる川は所々凍りついていた。 ・アクセス方法:許昌中心。 |
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名称:青梅亭 ・所在地:河南省許昌市中心 ・コメント:青梅亭にある劉備の表情には脱帽ものである。人を引き付ける魅力以外に演技力にも長けている。 ・アクセス方法:ハ陵公園内。 |
![]() 【青梅亭】 |
![]() 【曹○称象処】 |
名称:関帝廟 ・所在地:河南省許昌市中心 ・解説:許昌市内にある関帝廟。 ・コメント:この関帝廟に入るためには入場チケットが必要である。しかし、先ほど購入したチケットが見つからない。どこを探しても見つからず、もう一度購入しようとした時にようやく見つけることが出来た。 ・アクセス方法:ハ陵公園内。 |
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![]() 【馬良像】 |
![]() 【リョウ化】 |
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名称:荀氏八龍塚碑 ・所在地:河南省許昌市中心 ・解説:後漢朗陵侯の荀淑とその八人の息子の墓。ちなみに荀彧は荀淑の次男である荀コンの子。荀攸は荀淑の甥の孫にあたる。 ・コメント:ハ陵公園内にあり、写真を見て分かるように無造作に横たわっていた。注意して見ていないと、完璧に素通りしてしまうだろう。 ・アクセス方法:ハ陵公園内。 |
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名称:文醜廟 ・所在地:河南省禹州市寨子賈村 ・コメント:一人では決して行きたくなくなるようなそんなド田舎に存在する。゛そんしあさん゛と同行し訪問したが、帰りが気になり、到着後30分も経たないうちに引き返した。 ・アクセス方法:禹州汽車站対面の汽車站から寨子賈行きに乗る。寨子賈へ到着したら、東へ200m歩くと右手に廟が見えてくる。 |
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名称:鍾ヨウ&鍾会墓 ・所在地:河南省長葛市増福廟郷田庄村 ・解説:魏将鐘ヨウの故郷。 ・コメント:鐘ヨウと鍾会墓は一緒のところにあるのでちょっと得した気分。武装した地元の子供らに入口まで案内してもらい、最後にみんなで記念写真をとった。 ・アクセス方法:長葛の長途汽車站から鍾繇大道を北へ行き、「鍾繇陵園」の標識で右折。田庄村に入り、村の東南。私は長葛汽車站から、鍾繇陵園を知っているドライバーのタクシーに乗った。 |
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![]() 【鐘ヨウ墓】 |
![]() 【鐘会墓】 |
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名称:司馬懿故里 ・所在地:河南省温県招賢郷安楽寨村 ・解説:諸葛亮孔明の最大のライバルである司馬懿の故里。 ・コメント:白色の司馬懿像がよく際立っている。しかし、見所はこの像だけであり、直ぐ次の目的地に向かった。 ・アクセス方法:鄭州・二馬路長途汽車站から温県行きに乗る。到着後、温県汽車站からバイクタクシー利用若しくは9路バスの終点まで。道路右側。 |
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名称:呂布墓 ・所在地:河南省修武県郇封鎮小蘭封村 ・解説:三国一猛将と言われる呂布の墓。下邳にて曹操に敗れ、呂布の生涯は終わることとなる。 ・コメント:今回の河南省旅行はとにかく強行軍であった。この呂布墓も一人ではとても到達が難しいところにある。帰り無事に許昌行くのバスに乗れて本当に安心した。 ・アクセス方法:修武汽車站から武陟行きに乗車し、王村で降りると念を押して言っておく。バス停から西南方向に行くと唯一?の商店があり、そこで東へ折れ、カーブしながら道なりに行く。養鶏場の隣まできたら左折しひたすら前進。T字路に突き当たったら右手を見てみよう。土盛があるはず。 |
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名称:虎牢関 ・所在地:河南省滎陽市汜水鎮虎牢関村 ・解説:この地は洛陽の喉元にあたるため昔から戦略上の要地であった。そして、三国時代は董卓軍と反董卓連合軍の決戦が行われた場所である。 ・コメント:是非訪れておきたかった古戦場の一つである。数年後テーマパーク化される予定であり、訪問当時至る所工事されていた。天気がよく清々しい気分になった。 ・アクセス方法:鄭州長途客運西站から上街行きに乗る。上街汽車站まで行ってもいいし、公路上に汜水行き(本数多い)がいたら、乗ってるバスを止めてもらって乗り換えてもいい。汜水に着いたら西に1.5km程行くと右手に有る。 |
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名称:呂布城遺跡 ・所在地:河南省滎陽市汜水鎮虎牢関村 ・解説:かつて呂布が守っていたされる城壁跡。虎牢関の北西に現存する。 ・コメント:高台から眼下に広がるのは黄河である。ここからの眺めは本当に最高であり、中国大陸に初めてじっくりと黄河を堪能する。 ・アクセス方法:虎牢関石碑の西側がT字路になっている。ここを北へ200m程行くと左手に商店が有るので、ここで左折し、西へひたすら1.5kmくらい山頂に向かって歩く。 |
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名称:官渡古戦場 ・所在地:河南省中牟県官渡鎮官渡橋村 ・解説:曹操vs袁紹。河北の最大勢力である袁紹を撃破した曹操が官渡の戦い後、袁一族を滅ぼして着実に領土を拡大することとなる。 ・コメント:有名な古戦場の一つ。博物館があるが、管理人が見つからず中に入ることが出来なかった。古戦場には石碑がなく、あまり感動出来なかった。 ・アクセス方法:鄭州客運東站からバスに乗り、中牟へ。 |
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名称:関林 ・所在地:河南省洛陽市郊外南約7km ・解説:世界中に存在する関帝廟の総本山。関林の裏には首塚もある。 ・コメント: 関帝廟の総本山だけあり、この地を訪れる参拝客は日々絶えないと言われている。訪問当時も大勢の人が訪れていた。本堂の中にある黄金の関羽像は正に神格化された証である。 ・アクセス方法:市街地の南にある関林鎮にあり、バスで30分ほどで行ける。 |
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名称:曹魏王基墓碑 ・所在地:河南省洛陽市郊外南約7km ・コメント:関林敷地内をぶらぶらと観光している際に、偶然にもこの墓碑を発見。王基墓碑という文字を発見し、素早くカメラを構えるが、管理人に怒鳴られた。一枚だけと懇願するとしぶしぶながらOK、価値のある写真です。 ・アクセス方法:関林敷地内(石碑博物館内) |
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名称:杜預墓 ・所在地:河南省偃師県杜楼村 ・解説:呉を滅ぼした晋の名将杜預の墓。 ・コメント:゛そんしあさん゛からの情報をもとに、捜索開始。思ったより簡単に到達。杜預は杜甫の遠い親族関係にあり、同じ敷地内に葬られているのが何ともいえない。到達後、撮影タイムに入り、パシャパシャしていると右手方向の草むらから人の声が…中学生が授業をさぼっていた。 ・アクセス方法:偃师方面のバスに乗り、杜楼で下車。下車後、公路沿いに杜甫墓の標識があるので、その標識に従う。杜預墓は城関三中敷地内で杜甫墓より近い場所にあり。門番がいないため、学校へは自由に出入り可能。 |
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名称:漢魏洛陽古城 ・所在地:河南省偃師市首陽山鎮龍虎灘村 ・解説:三国時代の洛陽城の遺構。後漢末に董卓が破壊したため廃墟となったが、魏の曹操が再建して魏の都となる。 ・コメント:゛そんしあさん゛の情報をもとに、捜索開始。公路沿いにある標識と古城らしきこんもりとした場所は発見したが、肝心の石碑は見当たらない。頼れる人民二人にヒアリングしたところ、石碑は確かにあるらしいが方言がきつく何を言ってるのかよくわからない。そのため、『どうか標準語を使ってもう一度教えてください』と言うと、今度はご丁寧にゆっくりと話してくれた…方言で。 ・アクセス方法:洛陽市内より偃师方面のバスに乗り、首頭山で下車。公路沿いに標識があるが、私は石碑を発見することが出来なかった。 |
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