陝西省
shan xi sheng
名称:五丈原古戦場 ・所在地:陝西省宝鶏市岐山県 ・解説:諸葛亮孔明最後の地である五丈原。 ・コメント:蔡家坂鎮から五丈原に向かう際、眼前に広がる高い台地を発見しテンションがハイになる。帰国前に是非訪れときたかった場所の一つであり、諸葛亮廟をくぐると左右に魏延と馬岱の両将軍がお出迎え。ちなみに諸葛亮廟手前の右手にある『三国志城?』となる場所。入場料20人民元で怪しい雰囲気だった。時間の都合上、進入しなかったが中には一体何が…。 ・アクセス方法…宝鶏市内より蔡家坂行きに乗り、到着後乗り換え(高店経由)。 ・訪問日:2009年1月 |
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名称:諸葛亮衣冠塚 ・所在地:陝西省宝鶏市岐山県 ・解説:諸葛亮孔明の亡骸は定軍山の麓に葬られているが、衣冠はここ五丈原に葬られている。 ・コメント:五丈原観光は半日コ-スである。また、五丈原の門番は魏延とその魏延を斬首した馬岱である。敷地内には孔明の死を告げるために天から落ちてきたといわれる隕石のレプリカ(落星石)と孔明の妻を祭った黄月英廟など見所が多数ある。 ・アクセス方法…五丈原内 ・訪問日:2009年1月 |
![]() 【諸葛亮衣冠塚】 |
![]() 【魏延像】 |
![]() 【馬岱像】 |
![]() 【五丈原】 |
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名称:古葫蘆遺跡 ・所在地:眉県首善鎮葫芦峪村 ・解説:北伐時、孔明が司馬イ及び魏延を焼きそこなったという葫蘆谷、またの名上方谷。 ・コメント:そこには古葫蘆遺跡と彫られた石碑と中には廟が建てられていたが、廟の中へは鍵がかけられており進入出来ず。また、廟の後方は谷みたいになっており、ここにて司馬イら魏軍を火計を用いて焼き殺そうとしたのであろうか。地形的には不可能ではない地形。 ・アクセス方法:蔡家坡鎮から眉県行きのバスの乗車。葫蘆谷は眉県手前にあり、そこで途中下車するのが一番良いが住民はあまりいないため聞き込みは難しいと思う。私はまず眉県に行き、そこからバイタクを使用した。 |
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名称:張凝墓碑 ・アクセス方法…漢中汽車駅より市バス22路に乗り、古漢台にて下車。漢台(漢中)博物館内 ・訪問日:2009年1月 |
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名称:こん雪 ・所在地:漢中市漢台区東大街 ・解説:曹操の直筆とされる。この文字を曹操が記したとされる由来がある。漢を滅ぼし魏の皇帝となることを夢見た曹操が悲願をこの二文字に込めたらしいが。 ・コメント:同博物館での写真撮影は厳禁であり、何度も監視役のおばちゃんに制止される。しかし、泣く泣くこの日のためにわざわざ日本からやって来たということを告げると一枚だけならと承諾してくれた。 で、撮った写真がこれです。 ・アクセス方法…漢台(漢中)博物館内 ・訪問日:2009年1月 |
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名称:古虎頭橋 ・所在地:陝西省漢中市城区 ・解説:謀反の気があるとのことで孔明死後、魏延が漢中に戻る際に漢中の北門外の虎頭橋にて馬岱に斬首される。死んだ場所がここまで詳細に伝わっている人物は珍しい。 ・コメント:石碑は繁華街に存在する。写真でも見てわかるように石碑の前方には露店が出店されており、落ち着いて写真を撮ることが出来なかった。 ・アクセス方法:漢中汽車站の向かい側にある。万宝商城の隣。 ・訪問日:2009年1月 |
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名称:古陽平関 ・所在地:勉県武侯鎮蓮水村 ・解説:劉備が漢中を攻める拠点としたのがこの陽平関である。この地は交通の要地であり、北は陳倉(現、宝鶏市)、西は甘粛省、南は四川省に道が通じる。 ・コメント:以前は城壁が数ヵ所残っているだけでほとんどが崩れ去り土塊状態であったらしいが、私が訪れた際は見事に石碑と城壁が再現されていた。 ・アクセス方法:勉県の市バス3路に乗り、終点「水磨湾」で下車。略陽、寧強へ向かう分岐点にあるガソリンスタンドの後方。 ・訪問日:2009年1月 |
![]() 【古陽平関】 |
![]() 【古陽平関石碑】 |
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![]() 【関上よりの眺め】 |
名称:馬超騎馬像 ・所在地:勉県武侯鎮蓮水村 ・解説:劉備が漢中王に即位した際、馬超は左将軍に任命され、晩年はこの陽平関を守備する。 ・コメント:この馬超像新しく立派であり、恐らく陽平関を修築する際に一緒に造られたものだと思う。 ・アクセス方法:古陽平関の向かい。 ・訪問日:2009年1月 |
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名称:諸葛亮読書台 ・所在地:陝西省勉県武侯鎮蓮水村 ・解説:孔明が3軍を率いて漢中に屯営した時(北伐時)、軍務の余暇にここへ来て読書したとされる場所。 ・コメント:古陽平関から勉県武侯祠へ向かう途中に前方の小高い丘にぽつんと何かがあるのを発見する。もしやと思いその小高い丘を登ってみると正に読書台であった。 ・アクセス方法:古陽平関と勉県武侯祠の間に存在する。 ・訪問日:2009年1月 |
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名称:漢中武侯祠 ・所在地:陝西省勉県城西 ・解説:中国歴史上最古の武侯祠。元々は少し離れた場所にある武侯墓と一体であったが、後に現在のように祠と墓が分けられたらしい。ここの歴史は古く蜀漢の景耀6年(263年)に劉禅の勅命で建立された。 ・コメント:大陸に存在する数々の武侯祠の中でここ勉県の武侯祠の歴史が一番古い。 ・アクセス方法:勉県の市バス3路に乗り「武侯祠」で下車。 ・訪問日:2009年1月 |
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名称:馬超祠 ・所在地:陝西省勉県城西老城郷馬公祠村 ・解説:晩年はこの陽平関を守備し、漢朝再建を抱きつつこの地にて病死する。亡骸はこの地に葬られ、その後祠堂が建てられた。 ・コメント:祠堂内は馬超一色であり、イ水の戦いで曹軍を敗退させた故事や魏将許ちょとの一騎打ちなど馬超の雄姿を見ることが出来る。 ・アクセス方法:勉県の市バス3路に乗り、「継光村」で下車。 ・訪問日:2009年1月 |
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名称:馬超墓 ・所在地:陝西省勉県城西老城郷馬公祠村 ・解説:言うまでもなく馬超の墓である。 ・コメント:馬超像がある祠堂よりをまっすぐ進んだところに墓碑と大きな塚がある。途中、到達を阻むようして二ヶ所くらい錠がかけられた門があったが辛うじて侵入に成功する。 ・アクセス方法:馬超祠敷地内。 ・訪問日:2009年1月 |
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名称:馬超墓碑 ・所在地:陝西省勉県城西老城郷馬公祠村 ・解説:これも言うまでもなく馬超墓碑である。 ・コメント:馬超祠正門の向い側にある。 二つあるね?売店のおばさん曰く、以前ここ一帯が馬超墓であったらしく道路を通すため分断されたらしい。 ・アクセス方法:馬超祠の向い側 ・訪問日:2009年1月 |
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名称:武侯墓碑 ・所在地:陝西省勉県城西老城郷馬公祠村 ・解説:第三の武侯墓碑? ・コメント:武侯墓碑が三つあるね?武侯墓内には二つ、そしてここにもう一つ。墓碑の後ろには少しだけこんもりとした塚があるが、そこらへんにあったと思われるレンガを簡単に積んだだけっぽいが… ・アクセス方法:馬超墓碑の近場(東方向の公路沿い) ・訪問日:2009年1月 |
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名称:武侯墓 ・所在地:陝西省勉県城南定軍山 ・解説:天才軍師諸葛亮孔明が眠る場所。定軍山の麓に葬るように遺言しており、この地に葬られた。死後もなお曹魏を睨む気概の現れである。 ・コメント:広い敷地内には見所が多数あるが、やはり何といっても我々を惹きつけるのは『漢丞相諸葛忠武侯之墓』の石碑とその墳墓である。しかし、その更に奥にはもう一つの石碑が建っている。『漢丞相諸葛忠武侯之真墓』である。『真』の字に注目。つまり、この武侯墓敷地内には2つの武侯墓が存在するのである。 ・アクセス方法:勉県の市バス5路で「武侯祠」下車。 ・訪問日:2009年1月 |
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![]() 【漢丞相諸葛忠武侯之墓】 |
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【漢丞相諸葛忠武侯之真墓】 | |||
名称:定軍山古戦場 ・所在地:陝西省勉県城南 ・解説:劉備が曹操に勝利した記念すべき地。また、魏の猛将夏侯淵の戦没地として知られる。 ・コメント:定軍山は一つの山ではなく12峰の総称である。敷地内は工事中であり、恐らくこの地も観光地化されるのだと思う。最近、リニューアルまたはテーマパーク化される遺跡が増えてきているのは気のせいだろうか!?正門をくぐると神兵天降と彫られた完成度の高い騎馬像があった。 ・アクセス方法:勉県の市バス5路で「武侯祠」下車。下車地点から南へ100mほど行くと、武侯祠方向と定軍山方向へ分かれる道があるので定軍山方向の道を東へ1㌔ほど行く。 |
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名称:漢中王設壇処 ・所在地:陝西省勉県高潮郷旧州鋪 ・解説:219年に劉備が漢中王になる際にこの地にて壇を築き漢中王を宣言した。 ・コメント:情報とおり、門にはカギがかけられており管理人らしき人物を探すことに。近くを通ったお婆ちゃんに管理人のところまで案内してもらい、『中を見たいので開けてくれ』と管理人に言うとお金を要求される羽目に。RMB10を支払い進入することが出来たが金額交渉時にRMB5,10,15と三択だった。 ・アクセス方法:バイタク利用。万邦大酒店で下車し、そこから漢中方面へ進む。少し歩く(万邦大酒店より1㌔ほど)と南側に多数の家屋がありその中へ。道が入り組んでいるため住民に聞くのが良い。 |
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名称:制木牛馬流処 ・所在地:陝西省勉県東黄沙鎮 ・解説:北伐時、孔明が運搬道具の木牛流馬を作った場所とされる。 ・コメント:石碑の奥に東屋があり目を凝らして見るとその天井付近に張コウが孔明の伏兵に遭い、射殺される絵が描かれている。『張コウ、樹の下において死す』と彫られた樹の下で張コウが矢の雨を浴びている。 ・アクセス方法:市バス8路に乗り、黄砂鎮で下車。 |
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![]() 【張コウ、樹の下において死す】 |