四川省
si chuan sheng
名称:成都武侯祠&漢昭烈陵(恵陵)

・所在地:四川省成都市内

解説:漢昭烈陵(恵陵)は劉備の陵墓とされ、夷陵の戦いで孫呉の陸遜に大敗した劉備は223年、失意のうちに永安で63年の生涯を閉じる。その亡骸は成都へ運ばれてこの恵陵に葬られた。

・コメント:
成都武侯祠は三国志の聖地と言っても過言ではない。私は成都へ行く度にこの武侯祠を訪れる。通算訪問歴は3度。

アクセス方法1路などのバスに乗り、「武侯祠」にて下車。しかし、私は3度とも徒歩で目指した。

・訪問日:2003年11月、2006年7月、2009年1月


【劉備像】

漢昭烈陵(恵陵)】
名称:新都馬超墓碑

・所在地:
成都市新都区新都鎮桂湖中路

解説:蜀漢五虎将軍の一人馬超の墓碑。死後何処に葬られたかは資料には記載されていないが現存する墓は二ヶ所あるという。

・コメント:成都市の北東の新都に現存する馬超墓碑。現在は公園内に大切に保管されているとはいえ、風化がだいぶ進んでおり碑文中の文字が所々剥がれている状態であったた全文を読むことが出来ないのが残念。しかし、馬超孟起という文字をちゃんと確認することが出来る。

アクセス方法:成都市内から向う際は成都北長距離バスターミナルより650路のバスに乗り、新都で下車。私は広漢市向陽鎮から向かったため、同鎮より新都行きのバスに乗車。墓碑は桂湖公園内にある。

・訪問日:2009年1月

名称:カ萌関

・所在地:四川省広元市昭化古城

解説現在は昭化古城という地名。確たる領土を持たなかった劉備が成都の太守劉璋の求めをうけ、張魯の南下に対して援軍として出撃。

コメント:古城内は観光地化されている。春節間近ということで鮮やかな提灯が飾られており、賑やかな雰囲気でした。カ萌関の石碑は古城入口手前にあるらしいが発見出来ず。
また、古城内には蜀武将の塑像が作れており、鮑三娘(関索の妻)の塑像もあり。

・アクセス方法:広元市内(南河長距離バスターミナル)より長距離バスに乗り、昭化古城鎮へ(所要時間30分程)

・訪問日:2009年1月


【カ萌関

【鮑三娘像】

【関索像】


名称:戦勝ハ

・所在地:四川省広元市昭化古城望清門外

解説カ萌関の戦いにおいて、張飛と馬超が死闘を繰り広げたとされる場所。百合とも言われる一騎打ちは決着がつかず、日が落ち松明を用いて再び勝負したが引き分けに終わる。

コメント:望清門よりすぐ出たところにその石碑がある。日本語と韓国語が用いられた解説の札を見てわかるように、日本人と韓国人の三国志ファンがよくこの地を訪れていることがうかがえる。

・アクセス方法:古城内にある望清門を出てすぐのところにあり、望清門と敬侯祠の中間。

・訪問日:2009年1月

名称:費緯祠(左)/費緯墓(右)

・所在地:四川省広元市昭化古城望清門外

コメント:昭化古城内の敬侯祠にある。2008年に建てられた祠堂は新しく立派なものであり、費緯墓はその祠堂内にある。祠堂内には費緯の生涯と活躍を簡単に紹介したコーナーもあり。

・アクセス方法:古城内にある望清門より出て、100mほど先の敬侯祠内。

・訪問日:2009年1月


費緯祠】

費緯墓】
名称鮑三娘墓

・所在地:四川省広元市昭化区曲回郷鴨浮村

解説:関羽の三男坊の関索の妻の墓。しかし、正史には彼の名が無いため架空上の人物とされている。

・コメント:架空上の人物とはいえ、立派な墓である。塚はそれほど大きくないが地元人民たちの知名度は高いと思う。

アクセス方法昭化古城と宝輪市との中間に位置する。昭化古城より宝輪市行きのバスに乗り、墓手前で途中下車。予めバスの運転手に告げると良い。

・訪問日:2009年1月
名称:姜維墓

・所在地:四川省剣閣県剣門関

・コメント:石碑と塚がある。数年後、テーマパーク化される予定であり訪問時は既に工事が開始されていた。私個人的にはテーマパーク化されるのだけは困る。なぜなら、観光地化されると当陽の長坂ハ公園みたいになりそうなので。断固として反対です。

アクセス方法:剣門関を越えたところにある。100m先。

・訪問日:2009年1月

名称:剣門関

・所在地:四川省剣閣県剣門関

解説:蜀の姜維が魏の鐘会の攻撃を防戦した天然の要塞。姜維は蜀で最後の名将であり、孔明の後継者して蜀を支えた人物でもある。

・コメント:剣閣バスターミナルよりバイタクを使用した。剣門関に向かう途中に見える景色は最高。車酔いしそうなくねくね山道を登ったところに垂直に切り立った崖があり、正に絶景である。

・アクセス方法:広元市内(南河長距離バスターミナル)より剣閣までバスで移動して、剣閣から剣門関までバイタクをチャーターした。しかし、広元市内(同バスターミナル)より出ている普安行きに乗れば、ダイレクトに行けるらしい。

・訪問日:2009年1月

名称:漢張桓侯祠

・所在地:四川省ロウ中市西街

・コメント:祠堂内には張飛の活躍を再現した塑像がある。その中にはカ萌関の戦いにおいて馬超と死闘を繰り広げたシーンもあり出来は最高に良い。また、張飛家系図や張飛が使用する蛇矛の故事など多数紹介されており十分に楽しめる。しかし、私は時間の都合上、ササっと見て回った。

アクセス方法:広元火車駅の隣りにある長距離バスターミナルからロウ中行きのバスに乗る。市内到着後、漢張桓侯祠は西街というところにあるのでそこまでバイタクを使用。

・訪問日:2009年1月

名称:張飛墓

・所在地:四川省ロウ中市西街

解説:関羽の弔い合戦直前に部下の范疆と張達により殺害された張飛の胴体が眠る場所、胴塚である。

・コメント:立派な塚である。大抵、私が見てきた塚の形状は円形上のものが多かったがこの張飛塚は楕円形である。

・アクセス方法:漢張桓侯祠内。

・訪問日:2009年1月

名称:ロウ中張飛騎馬像

・所在地:四川省ロウ中市

・コメント:ロケーション的には当陽にある趙雲騎馬像と似ている。しかし、ロータリー上にあるため人通りが多く、落ち着いて写真を撮ることが出来なかった。また、近くの売店で張飛牛肉を購入。味はそこそこでビールのおつまみにはぴったりである。

アクセス方法:長距離バスターミナルより数`先のロータリー。

・訪問日:2009年1月

名称:富楽山(富楽山公園)

・所在地:
四川省綿陽市城東

解説:劉備が荊州より入蜀した際、劉障がこの山にて劉備を迎えた。
名前の由来は劉備が蜀の地が富盛んなことに喜び、飲食を楽しんだことによりこの名がついた。

・コメント:現在、ここは富楽山公園として観光地化されており、敷地内には五虎将軍の塑像、フ楽会館、劉ホウ塑像などがある。また、入口付近には劉備三兄弟の巨像がそびえ立つ。まもなく旧正月ということで通路沿いの植えられている木には多数の灯籠(提灯)が飾られており、園内を歩くだけでも十分楽しめた。

アクセス方法:市バス20路に乗り、富楽山風景区手前下車

・訪問日:2009年1月

名称:桃園三結義像/劉ホウ塑像

・所在地:四川省綿陽市城東

・コメント:桃園三結義像はお馴染みの劉・関・張の三兄弟の塑像で1998年に完成した。一方、劉ホウ塑像はホウ統が劉備に上、中、下の三策を献じる様子が再現されている。

アクセス方法富楽山(富楽山公園)内。

・訪問日:2009年1月

桃園三結義像】

劉ホウ塑像】
名称:富城会館

・所在地:
四川省綿陽市城東

解説援軍要請のために入蜀した劉備を祝うために劉障が宴を開く。しかし、この機を逃すまいとホウ統と魏延が劉障暗殺計画を図るが失敗に終わる。そのシーンを再現した銅像が奥にあり、中央には盃を交わす劉障と劉備、彼らを囲むようにホウ統、魏延、陽懐、張任が座っている。

・コメント:目を閉じると当時の光景がフワッと浮かんで来る。しかし、誰かの仕業であろうか…各武将の前に置かれているネームがなぜかホウ統だけ額の上に置かれていた。

アクセス方法富楽山(富楽山公園)内。

・訪問日:2009年1月
名称:五虎将軍騎馬像&蜀漢四英像

・所在地:
四川省綿陽市城東

・コメント:蜀五虎将軍のブロンズ像。左から黄忠、趙雲、関羽、張飛、そして馬超!そして、右写真の蜀漢四英像は右から諸葛亮孔明、費緯蒋エン、董充である。

アクセス方法富楽山(富楽山公園)内。

・訪問日:2009年1月

五虎将軍騎馬像】

蜀漢四英像】
名称:漢平陽府君蔽

・所在地:四川省綿陽市城東

・コメント:地図上には載っているものの、探すのに少し苦労した。最近出来たらしい博物館の目の前にぽつんと建っているだけなので、その存在を知っている人民達も多くはなかった。後方にある博物館建設時によく壊されずにいたなぁと思うとなんだか嬉しい気分になる。

アクセス方法:富楽山風景区近くにある博物館の前方。

・訪問日:2009年1月
名称:蒋恭侯祠

・所在地:四川省綿陽市内西山上

解説:孔明の死後、蜀の丞相となり劉備、孔明の意志を継ぎ、漢朝再興に精を出す。しかし、新年の宴会の席で魏の降将郭循により刺殺される。

・コメント:ここ祠堂にも去年発生した地震の爪痕が残されていた。柱に亀裂が入っており、また門も堅く閉ざされていたため中には入れなかった。

アクセス方法:西山公園内。平政長距離バスターミナルの南西にあり、徒歩圏内の距離。

・訪問日:2009年1月
名称:蒋エン墓

・所在地:
四川省綿陽市内西山上

・コメント:墓の形状はホウ統墓に似ており六角形。蒋エン墓と書かれた正門から真っ直ぐに伸びた道を少し上ったところに立派な蒋エン墓がある。また、前もって園内に蒋恭侯祠もあることを調べていたがド忘れしてまい、危うく見逃すところであった。小走りで先ほど来た蒋エン墓を通り過ぎ、無事に発見することが出来た。

アクセス方法:西山公園内。

・訪問日:2009年1月

名称:営盤嘴

・所在地:四川省綿陽市内西山上

解説姜維、蒋エン、諸葛瞻が駐屯したとされる場所。

・コメント:営盤嘴の案内標識に従い、発見したのがこれである。しかし、営盤嘴の文字も彫られてなく、形状も予め調べたものとは異なる。

アクセス方法:西山公園内。

・訪問日:2009年1月

名称:ラク城遺跡

・所在地:
広漢市ラク城鎮中山大道

解説:成都防衛の最後の砦であり、蜀の名称張任が守備していた城。

・コメント:市街地の中心にあり、城壁には2008年の成都大地震時に生じた亀裂が生々しく残っている。広漢市と綿陽市も地震の被害が大きかった地域である。

アクセス方法:広漢市長距離バス停の手前から3路のバスに乗り、房湖公園にて下車。また、成都市から向かう際は成都市(城北バスターミナル)から広漢市まで長距離バスに乗り、下車後バイタクを使用。

・訪問日:2009年1月

名称:張任墓&金雁橋

・所在地:
四川省広漢市市北外郷wei杆村

解説:蜀の名将張任は劉備軍の攻撃をよく防いでいたが孔明の策略にはまり、金雁橋の付近にて捕えられた。

・コメント:張任墓を発見するには人民の助けが必要なほど探すには苦労しそうな場所にある。田んぼの中にあり、草がボーボーに生い茂っているため外からでは確認出来ない。今では、塚はなく石碑が残るのみの状態となっている。
また、付近には狂暴な野良犬がいるので要注意。

アクセス方法:ラク城遺跡(房湖公園)の手前のバス停より3路のバスに乗り、金雁橋公園で下車。あとは、バイタクを使用した方が良い。

・訪問日:2009年1月


張任墓】

金雁橋】
名称:ホウ統墓

・所在地:羅江県白馬関鎮白馬村

・コメント:円形の墳墓で比較的小さい。墓の両脇には馬の像を入れる檻があり、これは落鳳坂事件の前に劉備とホウ統が馬を交換した故事から作られたものらしい。残念なことに去年発生した四川大地震の爪痕がここでもはっきりと残っていた。
ここに訪れた日は大みそかであったため、成都市へ戻るバスの運行状況が気になり早めに撤収。ホウ統祠周辺にある落鳳坂や張飛点将台などを見逃しまい残念である。

アクセス方法:ホウ統祠内。

・訪問日:2009年1月


【白馬関】
名称:ホウ統祠

・所在地:羅江県白馬関鎮白馬村

・コメント:祠堂内にはホウ統と孔明の塑像とホウ統の生涯を描いた絵などが展示されている。

アクセス方法:成都市城北バスターミナルより徳陽行きに乗車。到着後、まず徳陽市の城北バスターミナルに行く。そこから羅江市行きのバスに乗り、白馬関鎮で途中下車。ホウ統祠は同鎮より羅江市方面にある小高い山の中にあるため、上り口付近で途中下車するのが良い。

・訪問日:2009年1月

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